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<徳川宗春>墓修復へ…名古屋市民有志ら 30日に慰霊祭(毎日新聞)

 今年、名古屋開府400年を迎えたのを機に名古屋市民有志が、太平洋戦争中に空襲で傷ついた尾張藩七代藩主、徳川宗春の墓石を修復する。30日には同市千種区の平和公園の墓前で慰霊祭を行い、修復に向けて墓石から魂を抜く「お精(しょう)抜き」などをする。5月上旬に修復を始め、7月末に完了の予定。市民らは墓石修復をきっかけに宗春の魅力を広める活動に取り組む。【丸山進】

 中心になっているのは名古屋市中区錦のすし店のおかみ、舟橋幸江さん(63)。宗春が白い牛に乗って名古屋城下を巡った場面を再現する「蒲焼(かばやき)道中」を06年に旧蒲焼町(中区錦)で始めた際、墓の存在を知った。

 墓は尾張徳川家菩提(ぼだい)寺の建中寺(同市東区)にあったが、戦後の区画整理で平和公園に移された。高さ3メートルの墓石には、宗春の官位・従二位大納言を示す「亜相二品」や宗春の別名「章善院殿」などの字が刻まれている。

 修復は、市内の左官業者が「無償でやってもいい」と引き受けた。尾張徳川家二十二代当主の徳川義崇・徳川美術館館長らの了解を取り付けた。

 舟橋さんら有志15人は、安田文吉南山大教授(近世芸能文化)を発起人代表としてグループ「宗春ロマン隊」を発足させた。舟橋さんは「宗春は名古屋の礎を築いたが、市民にそれほど知られていない。『名古屋の殿様』として子供たちにも伝えたい」と語る。

 【ことば】徳川宗春

 1696~1764年。尾張藩七代藩主。八代将軍、徳川吉宗の質素倹約令に反発して経済開放政策や文化芸能振興策を進め、派手な陣羽織を着たとされる。名古屋城下は活気づいたが後に窮乏。吉宗の逆鱗(げきりん)に触れ、39年に隠居謹慎させられた。死後も罪人扱いされ、墓には約70年間、金網が掛けられた。

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